私の「金融道」入門時代
セクハラ、パワハラ、モラハラなど、イマドキの世の中はうっかりすると何でもハラスメントにされてしまいますが、ひと昔前の会社組織は、正直、ハラスメントしかありませんでした。
いわんや消費者金融業界をやであります。
今回はそんな古き良き?時代からのお話です。
【超体育会系の店舗に配属】
時は90年代の半ば、私はある消費者金融会社に中途採用で入社をいたしました。
当時の業界は、まさに時代の変革期にありまして、大手を中心に無人契約機の一大ブームが巻き起こり、業界全体で、それまでの「サラ金」というイメージを払拭すべく、各社イメージUPに努めていた時期でもありました。
しかし、まだまだ「武闘派」の雰囲気を残す先輩方も多く、私が入社した会社でも、「ヤミキンウシジマ先輩」や「タケウチリキ先輩」などが、野太い声で債権回収をしているのは全く日常の風景でありました。
私が配属された店の店長は、まさにそんな先輩達のさらに上をいくお方でした。
某三流大学体育会系出身で、身長180センチ超、体重100キロという超ヘビー級の巨漢は、存在そのものが、まさに「ハラスメント」。
この会社に入社した後は、その圧倒的存在感とカリスマ性により、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世をされた凄腕でもあります。
普段は寡黙な方でありますが、その鈍く光った三白眼に睨まれたが最後、これまで無事にすんだ者はお客にも従業員にもいないとのうわさ。
当時その方がいる支店は、社内でも、「鬼の哭く街」と恐れられ、私どもも陰では、「店長」ならぬ「獄長」と呼び、恐れおののいていたものでした。
さて、そんな店長のもとに配属されて半年ほどたったころ、私の身に思わぬ試練が降りかかってきました。
【恐怖の新人特訓】
私が配属された店舗には、入社して半年ほどたった新人社員に、あえて回収困難な長期延滞顧客を担当させて鍛えるという慣習がありました。
この間、新人は先輩にアドバイスをもらいながら、ありとあらゆる手段を使って回収に努めなければなりません。
本来、ひとつの債権にそこまで時間を割いて回収業務は行えませんが、これはいわば「社員教育」の一環なので、ある意味採算は度外視です。
そしてついに私のところにもその試練がまわってきたのでありました。
「柴田ノ債権回収ノ指導ハ俺ガヤル・・」
どういうことか、私の指導は、店長が自らやられると言い出したのです。
これは、よほど目をかけてくれているのか、逆に目障りだから潰したいのか、それともただの思い付きなのか、いずれにしてもその日から、私の地獄の特訓の日々がはじまったのでありました。
指導と言っても店長は何も教えてはくれません。
私の後ろの机から、ジーッと三白眼を光らせて、ただただこちらを睨みつけているだけなのです。
その視線に耐えかねて、
「店長、この債権はとりあえず夫を保証人に付ける条件でこれまでの不足金を減額してはどうでしょうか。」
と債権回収の相談に行っても、
「・・・・・・・・・・」
「わっ、わかりました。もう一度、考えてみます。」
と、私の提案が意に添わねば、例の三白眼がほとんど白目だけになるだけで、全く返事をしてくれないこともしばしばでありました。
私の提案に承諾したときも、
「・・イケ」
と一言いうだけです。
思い返せば、徹底した寡黙ぶりで心中を推し量るのが非常に難しいお方でした。
食事に行くときは、
「メシ」
トイレに立つときも、
「ションベン」
帰宅時も、
「カエル」
といった具合で、常時ほとんど最低限度の言葉しか口にしないのでありました。
【債務者からの手紙】
そんな環境で、指導?を受けること約3カ月間。
私はついに、超難関といわれた債権の回収を軌道に乗せ、尚且つ、身内の夫を保証人にするところまでこぎつけました。
その間、債務者夫婦を来店させて、他社分も含めて返済計画を立て直させたことは、実に10回近くにもなります。
そして最後には、
「柴田さんがいろいろと世話をやいてくれたおかげで、私達夫婦も、頑張りなおそうという気持ちになりました。ありがとうございました。」
と、債務者夫婦から、感謝のお手紙を頂くまでになったのでした。
もちろん債務者から感謝の手紙を頂くなんてはじめてのことでしたが、それよりも何よりも、
(これでやっと、獄長から解放される・・)
という思いの方が強く、ほっと胸をなでおろしていました。
ちなみにこの時点で私の体重は、4キロほど減っておりました。
すると、普段は寡黙な店長が、このときばかりは饒舌に、
「お前の拙い管理に、ここまで感謝してくれる人がいるなんてありがたいことじゃねえか。いいか、金融業は人助けって意味もあるんだ。忘れるんじゃねえぞ。その手紙は記念にとっとけ。大事にしろよ。」
と、例の手紙を私の胸ポケットに押し込みました。
そしてその後は、いつものごとく、
「カエル」
と一言だけ呟き、颯爽と店をあとにしたのでした。
そんな店長の後ろ姿を見ながら、私は「なんでこの人は地方の街金なんかで働いているのだろうか」と不思議な気持ちになったものでした。