私の「金融道」入門時代(part2)
いまでこそ消費者金融が連帯保証人を取得するためには、「事前に契約内容を説明する書面」を交付しなければならなかったり、申し出に応じて主債務者の返済状況を説明しなければならないなど、様々に制限が設けられていますが、私が消費者金融に入社した90年代半ばは、なんと口約束でも保証契約が成立してしまうという超牧歌的時代でありました。
(連帯保証人を取得した時も、せいぜい、後から立証できるように、契約書のコピーの「連帯保証人欄」に署名捺印をもらうだけでした。)
とはいえ、ひと昔前は、どの家庭でも、「借金の保証人にだけはなるな!」という教育をしていたもので、連帯保証人を取得するのはなかなか楽なことではありませんでした。
いわんや消費者金融が「サラ金」と呼ばれていた時代をやであります。
今回はそんな時代のお話です。
【回収手段には「寝技」がある】
前述したように、私は90年代の半ばに、ある消費者金融に中途入社をしましたが、1年も経つ頃には、若手のホープとして、いっぱしに回収業務の一端を任されるようになっておりました。
そのころの私が得意としていた回収方法は、
「連帯保証人の取得交渉」や「身内からの代払い交渉」でした。
パンチパーマや髭面の先輩方であれば、ジロリと睨むだけで、相手が勝手にビビって返済してくれたりもしますが、なにせ当時の私は自称「小池徹平似?」の紅顔の美少年。
サラ金の社員としては、まるで貫禄が足りず、高圧的な態度は様にならないのです。
マイルドさだけを武器に、自然、寝技(交渉)を駆使するようになっていったというわけです。
また、これは、後々、気づいたことですが、この時期に消費者金融業界に入った、マイルドな「第三世代」の人達は、私と同じように、寝技を得意とする方が多くいたようです。
【実録、連帯保証人取得の口説き文句】
消費者金融が連帯保証人を取得する目的はもちろん債権保全のためです。
通常、消費者金融の取引は、「一度でも遅れたら全額返済しなければならない」という契約になっているので、返済が危うい客には、そのことを盾に、連帯保証人を付けるように迫るわけです。
しかし、本人に連帯保証人を差し出すように言っても、「まだ話がきちんとできてない」とか、グダグダとなかなか話が進まないことがほとんどです。
そんな時は、いっそのこと、
「話ができていなくてもいいから、とにかく一度こちらと話をさせて欲しい。」
と言って、こちらからわけのわかるように説明した方が、手っ取り早く、誤解もなく、話がまとまりやすいものなのです。
連帯保証人を取得する際の口説き文句は、言うべきことは単純ですが、精一杯の誠実さを要します。
「今後、連帯保証人となってご協力いただくことはご無理でしょうか。本来であれば全額請求しなければならないのですが、親御さんが連帯保証となっていただけるのであれば、改めて分割でお付き合いさせていただきます。ご本人さんが再建できるように、どうぞなんとか力を貸してください。」
まあ、連帯保証人や代払い交渉といっても、誰にでも頼めるわけもなく、相手はせいぜい、配偶者か親ぐらいしかいないので、本人の借金のことは、薄々感づいている場合がほとんどです。
そのため、誠意をもって伝えれば、大抵の場合は、納得してくれたものでした。
これは強面(コワモテ)スタイルではできないペラ回し(口説き文句)です。
【とんでもない約束をさせられる】
個人的にはこんな調子で債権回収に励んでいたわけですが、当時、ウチの会社は、急激な不良債権の増加に悩まされておりました。
当時、業界では、大手を筆頭に無人契約機の一大ブームが巻き起こっており、その影響を受けて、我々の会社も急拡大路線を採用していました。
その無理な貸付けが不良債権として、そのまま跳ね返ってきてしまったというわけです。
私が所属していた支店においても、不良債権を抑えることは喫緊の課題であり、急遽、店長を囲んだミーティングを行うことになったのでした。
この店長については、以前もお話しましたが、某三流大学体育会系から、鳴り物入りで業界入りした、超大物で、恰幅の良さは、「小林旭」、寡黙さは「白竜」といった、なんとも犯しがたいオーラをまとった御仁なのであります。
日々、ほとんど、一言も発せられませんが、だまってそこに座っているだけで、圧倒的な威圧感。
我々は密かに「獄長」と呼んで恐れおののいていたのでありました。
ミーティングにおいても、最初は、
「当面、融資額をおさえたらどうでしょうか・・」
とか、
「属性の良い奴だけに貸したらどうでしょうか・・」
とか、各自様々な意見がでていたものの、この「獄長」の意に添わなければ、鈍い光を放つ例の三白眼でギラリと睨まれるだけで、例によって返事もしてもらえません。
そしてついには、誰もが口をつぐんでしまい、部屋には無言の重たい空気が流れるようになってしまいました。
そんな中、私は空気の重たさに耐えかねて、つい、次のように口走ってしまいました。
「あのう・・。連帯保証人の取得を推進するというのはどうでしょうか。」
すると、それまで無言だった店長が突然、口を開いたのでした。
「・・件数ハドノクライダ」
にわかに、周りはざわつきはじめました。
「けっ、件数ですか。1カ月に20件程度でどうでしょうか。」
「・・・・・・」
「いえ、ごっ50件程度でしょうか。」
「・・・・・・」
店長の三白眼がだんだんと白眼だけになってきているのがハッキリとわかります。
「ひゃっ、100件、1カ月に100件は取りたいと思います!」
「ヨシ・・オマエガヤレ」
わたしは、無言の圧力に負けて、とんでもない数の約束をさせられてしまいました。
【大号令、連帯保証人を取りまくれ!】
月間100件といえば、通常の出勤を20日として考えて、1日5件を目安に取っていかなければ間に合う数ではありません。
いや、休日返上でいけば、1日3件程度でなんとかなるかもしれません。
とりあえず、私は、その日から不良債権を片っ端からあたってみたのでした。
そして、
「いついつまで返済は待つから、連帯保証人を付けてくれ!」
「とにかく、連帯保証人を!」
と親、配偶者だけに留まらず、祖父、祖母、兄弟など、成人していれば、誰でも検討するという勢いで延滞者に連帯保証人を付けていきまいた。
それでも月の半ばすぎても、50件にも達成はしていませんでした。
そして残り、10日になったときには、それまで静観していた、パンチパーマや髭面の先輩方からも、
「俺が担当している客にも連帯保証人つけといたから。」
「あっ、コッチも付けといたぜ。」
と、お声がかかるようになり、ついには、支店全員がかりで、朝から晩まで、
「連帯保証人を!!」
の大合唱となってしまったのでした。
そして迎えた最終日の夕方、ついに獲得件数は99件まで迫りましたが、もう連絡の取れる不良債権はどこにもありません。
せっかくここまできたのにもはやここまでか・・。
諦めかけたその時でした。
「おい、柴田、最後の1件だ、持っていけ!」
叫び声とともに、どこからともなく、一枚の契約証書が机に飛んできました。
放り投げたのは、なんと店長でした。
それは、これまで行方不明で全く連絡がついていなかったお客の契約書で、連帯保証人欄にはしっかり署名捺印がなされていました。
この最後の1件のおかげで、私はなんとか100件の連帯保証人の取得を達成できたのでありました。
そして普段は寡黙な店長は、
「いいか柴田、自分が変われば、人も変わる。そして人生さえも変わってゆくんだ。覚えとけ。」
と、やけに饒舌に言い残して、颯爽と店をあとにしたのでありました。
残された私は、ぼんやりその言葉の意味を考えていましたが、やはりよくわかりませんでした。
しかし、店長は、いつの間に、連帯保証人を取ってくれていたのでしょうか。
はたしてあの寡黙な店長がお客にどんな話をしたのでしょうか。
興味をもった私は、その客が延滞した時には、何度も連絡を試みました。
しかし、ついにその債権は、お客とも連帯保証人とも一度も連絡が取れないまま、「貸倒れ」になってしまい、真相は不明のままなのでありました。